<デザインとイラストの融合>
中学、高校時代は漫画家に憧れていた。職業として自立出来る道を求めてデザイン学校に進み、万国博が開かれた
1970年に南森町の小さなデザイン事務所に就職する。その後イラストレーターの道が諦められず、2年足らずでデザイン会社を退職。デザインの仕事をフリーで始める。フォークやロックなど新しい文化と一体になったイラスト文化は刺激的だった。南森町のジーンズショップ「フレンズ」を活動の拠点に、ドアーや店内の壁画を描くなどの活動を展開。シルクスクリーンを使ってロックシンガーの舞台用Tシャツなどのイラストをはじめ、ホテルやコンサートのポスター等の様々なデザインにも手をだした。
新しい音楽や出版など新しいムーブメントの中で、自分のイラストと仕事に繋がっていく喜びを知る。1975年頃から友人とデザインスタジオ「ゴリラカンパニー」を設立。2年で分裂。その後、アドキャラバンスタジオを設立。大阪を中心に雑誌や出版社関係、深夜放送ラジオ関係など若者文化を中心にしたイラストの仕事をはじめる。森上源一氏の主宰する大阪イラストレーターズの活動にも参加。東条湖ランドの建物に絵を描く仕事など、机の上だけでなく屋外での仕事にもチャレンジした。 |